【第3章】 波乱の自営業の幕開け

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「操る側」と「操られる側」

どんな仕事で独立しようか、思い悩んでいた僕は、テレビで特集されていた「個人でできる自動車修理の仕事」が、とても気になりました。

内装パーツやアルミホイールのキズを出張でリペアするというもので、その番組では「一日3件の依頼をこなして月80万円の収入」と謳っていました。

 

「エンジンや外装の修理に必要な、規模の大きいスペースや工具は不要」

「定年がなく体力も使わないので、一生涯続けられる」

「ニッチな市場なので、大手が参入してこない」

「本部の講習が充実しているので、誰でもできる」

「驚異の利益率90%」

 

テレビでは、どこかで目にしたことがあるような耳障りの良い言葉が並んでいました。

 

手先を使った作業が好きだから、俺にもできるんじゃないかな?

そんなことを考えながら番組を見続けていたら、最後にこの仕事についての問い合わせ先が案内されていたので、早速電話してみることに。

 

勘の良い方ならすでにおわかりかと思いますが(勘が悪くてもわかるかもしれませんね 笑)、僕が観ていたテレビ番組は、フランチャイズ加盟者を募集するためにフランチャイズ運営会社がお金を払って作った「自作自演」の番組だったんです。

当時33~34歳だったと思いますが、いま思い返しても本当に世間を知らなすぎましたね。

運営会社の戦略にまんまとハマり、完全に舞い上がってしまった僕は、番組から1週間後の説明会に参加して、その後ほどなくして加盟を申し込みました。

アルバイトとして肉体労働を続ける日々に「この仕事をいつまでもやっているわけにもいかない」と不安を感じはじめていた頃だったので、フランチャイズ本部と契約できたことで「将来の安心」も手に入れられたような感じがしたことを覚えています。

カミさんも「これで子どもの送り迎えができるね」と大喜び。

 

かくして僕は、出張リペアの仕事で独立を果たし、明るい将来に向けてスタートを切ることになりました。

 

 

二度と戻りたくない日々

新卒で入った会社を辞めてから職を転々とし、最後はアルバイトで働くという時期を送っていた私は、34歳にして初めて独立を果たしました。

かかった費用は、フランチャイズの加盟金、営業エリア保証料、機材・資材の購入で、合計350万円。

 

名刺を作り、小さい作業場を借り、出張作業用の軽ワゴン車も中古で購入。

準備万端でスタートを切りましたが、何もしないで仕事の依頼が来るはずもなく、開業当初は営業周りからのスタート。

本部との契約で営業できるエリアが決められていたので、家の近所の中古車店やディーラー、修理工場にチラシを配って周る。

それを3ヵ月ほど続けました。

 

パソコンや、当時まだ主流だったガラケーで調べる人もいるだろうと考え、生まれて初めてブログも作成。

時間の経過とともに、業者さんや一般ユーザーからの問い合わせが徐々に増えてくるだろうと、勝手に信じ切っていました。

 

しかし、3ヵ月経っても仕事の依頼は月に4、5件ほど。

十分な売上がない中でも、本部へのロイヤリティ、ローンの返済、作業場の家賃は支払わねばならず、少なかった資金はすぐに底を突いてしまいました。

(この頃、安易な気持ちでクレジットカードのキャッシングで限度枠いっぱいまで借り、後々その支払いにも苦しめられることになります。)

 

フランチャイズに加盟し「明るい未来」を夢見ていた僕でしたが、結局お金のためにアルバイトをしなければやっていけない状態に陥りました。

昼はいつ仕事の依頼が入ってもいいように時間を空けておかなければいけなかったので、バイトができる時間は深夜しかありません。

僕が選んだ仕事は、2トントラックでコンビニに朝刊を配達する仕事でした。

そうです、独立する前と同じようなバイトに就き、お金を稼ぐしかなかったのです。

 

そして、固定費だけで毎月15万円近い出費が発生する状態だったこの時期は、家計にお金を入れる余裕などまったくありませんでした。

独立当初は「3ヵ月でどうにかする」とカミさんに言ったものの、半年経っても状況が好転する兆しも見えず、カミさんが働いていなかったら子どもたちも満足に食べられないようなカツカツの状態。

 

「家にお金を入れていないくせに、仕事の道具は買えるのね」

「仕事していないなら保育園の送り迎えくらい毎日やってよ」

「もうリペアは辞めて普通の仕事してよ」

 

当然ですが、カミさんも次第にイライラが募るようになり、夫婦の関係もギスギスしはじめます。

 

カミさんの給料があったので、僕以外の家族は普通に食べることができていましたが、家計にお金を入れていない後ろめたさと、「嫁に食わせてもらう」ことへの抵抗感から、僕だけは食費を一日500円に抑える生活を送っていました。

深夜のバイトが終わった早朝に100円ショップで買ったバタークッキーと歌舞伎揚だけで夕方まで持たせ、バイトの前に当時は280円だった牛丼の「並」を食べるという毎日。

ある日のバイト上がりの帰宅中、いつものようにバタークッキーを一口噛んだら前歯が欠けてしまった、そんなこともありました。

単純に栄養状態が悪かったので、歯も弱っていたのでしょう。

 

この頃は、満足に食事を摂れなかったので、頭が働かず常にボーッとした状態だった上に、仕事を掛け持ちしていたことで睡眠不足が積み重なり、バイトとリペアの両方でミスを連発するようになっていました。

 

「ドツボにはまっている」

当時の僕は、誰がどう見てもこの言葉がぴったりだったと思います。

 

そんな状況の中、僕や家族だけではなく、日本全体を揺るがす大きな災害が起こりました。

東日本大震災です。

 

幸い僕の家族は全員無事でしたが、僕の故郷・東北の人たちが大変な状況になっていました。

今すぐ駆けつけて何か力になりたいと思いましたが、東京を離れるということは仕事を休まなければならないということ。

そうすると、来月の支払いがままならなくなります。

しかも、この頃は金銭的にいちばんキツかったので、満足に寄付もできない状況でした。

 

「被災者の人たちに直接力を貸すこともできないし、お金で力になることもできない」

そんな自分の姿をまざまざと見せつけられて、本当に情けなくなりました。

 

その後もリペアの仕事を続けようとした僕でしたが、ただでさえ少なかった売上が震災の影響でさらに減ったことと、リペアとアルバイトの毎日に疲れ切ってしまったこともあって、フランチャイズに加盟してちょうど1年が経ったとき、もう一度「従業員」に戻ることにしました。

身体も心も、そしてプライドもボロボロになり、僕の「独立の夢」は儚く消え去ったのです。

 

そして、家庭を顧みず、満足に稼ぐこともできない僕にカミさんは愛想を尽かし、長男が小学校に入学する1週間前に離婚することになってしまいました。

1年間も家にお金を入れなかったのですから、当然の結果です。

 

これらの出来事は今でこそ「あの頃は」と話すこともきますが、当時の僕は「本当のどん底」にいると感じ、生気を失っているような状態でした。

あの頃には二度と戻りたくない。

今でもそう思っています。

 

 

それでも諦めきれない独立・起業

生まれて初めての独立は、目も当てられない「惨敗」で終了…

フランチャイズ契約の解消は問題なくできたものの、加盟金や機材の購入にローンを組んでいたので、この時点で支払いがあと4年残っていました。

その額、毎月5万円。

それに加えてキャッシングの返済が3万円ほどで、毎月合計約8万円の支払いを続けていかなければならない状態でした。

独立に失敗した僕には「後始末」が待っていたのです。

 

身体も心も財布もズタズタになり、「言われたことを淡々とこなしているほうが楽だ」とさえ考えていたこの頃の僕でしたが、独立への思いを捨て切れずにもいました。

とは言っても毎月の支払いがあるので、何かしらの収入を得る必要があります。

 

そこで、もう一度「労働」で稼ごうと思い、時給の高かった築地の八百屋でアルバイトをすることにしました。

それだけでは支払いと生活に十分なお金が得られないので、さらにもう一つ、運送会社で集荷の仕事も始めることに。

早朝から昼過ぎまで八百屋で働き、午後からはトラックに乗りお客さんの荷物を集めて回る。

朝は5時すぎに家を出て、2つの仕事が終わって帰宅するのが22時近く。

睡眠時間を4時間にして、残りの2~3時間を “リベンジ” のために使おうと考えました。

 

しかし、「自分の力で稼ぎたい」と言っても、多額の初期費用がかかる事業は避けたほうがいいこと以外、具体的に何をしていいのかがわかりませんでした。

そこで、まずは次のビジネスを決めるところからスタートです。

ネットで「副業」「独立」「稼げる」など、思い浮かぶさまざまなキーワードを検索エンジンに入れて調べました。

 

そんな最中、ネットだけで完結できるビジネスがあることを初めて知りました。

特にアフィリエイトというビジネスは、ブログやメルマガで商品を紹介して、購入してもらえたら報酬が入り、月数百万円単位で稼ぐ人がいる。

そのことを知った僕は、かなりの衝撃を受けました。

たぶんリペアの番組を見たときと同様に、とても色めき立っていたと思います(笑)

 

何事も行動のスピードだけは速い僕は、SEOやサイトの作り方についてまったく知らなかったにもかかわらず、とりあえず作業を始めてみました。

できるだけお金をかけたくない(と言うより、かけられない)ので、まずは『アメブロ』のアカウントを作成。

次に、『もしもアフィリエイト』や『A8.net』などのASP(アフィリエイト・サービス・プロバイダ)に登録。

紹介する商品が決まったら、「この商品、めっちゃよかったですよ!」とブログを書く。

 

ここまではよかったのですが、その先のやり方やノウハウがまったくわかりません。

そこで改めてアフィリエイトのやり方をネットで調べてみると、いろいろな情報が有料で販売されていることがわかりました。

これが僕と情報商材の初めての出会いです。

 

その中から一つ、いちばん安い教材を試しに購入してみることに。

初めて買った商材がどんなものだったかは忘れてしまいましたが、サイト作成もブログ運営もやったことのない僕にはチンプンカンプンで、書かれていることの内容がまったく理解できませんでした。

 

それに、ズブの素人が覚えたてのやり方ですぐに結果が出せるほど、ネットの世界も甘くはありません。

そこからはいろいろな手法を試して、ダメだったら新しい情報商材を購入するというループに見事にハマり、約1年間いわゆる「ノウハウコレクター」と化していました。

八百屋と運送会社の仕事があったので、リペアのときのような経済的な苦しさはありませんでしたが、「オレは本当に独立できるのか?」という焦りに常につきまとわれる毎日。

よく「ネットビジネスで月5000円以上稼いでいるのは5%の人だけ」と言われますが、僕がその5%の中に入れる兆しはまったく見えず、フランチャイズ時代とは違った「暗いトンネル」にいる感覚を感じていました。

 

 

ノウハウコレクターからの脱却

この当時は情報商材を買う以外にも、ネットビジネス関連のセミナーにも毎週のように参加していました。

〇〇さんという有名なアフィリエイターがセミナーをやると知ったら、八百屋の仕事を早退して出席し、また、●●さんという起業家が無料セミナーをやると聞くと、日曜でもよろこんで足を運ぶ、そんな日々を送っていました。

 

セミナーに参加した後は気持ちが高揚して「よし、やるぞ!」となるが、3日もすると忘れてまた元通り…

しかも、セミナー後の懇親会もほぼ毎回参加していたので、時間もお金も浪費するばかりでした。

当然ですが、主催者であるアフィリエイターさんや起業家さんと親しくなることはできなかったので、本当に実りのない時間を過ごしていたと思いますね。

 

そんなノウハウコレクター時代ですが、セミナーの出席者の方とはその後も連絡を取り合うことが多くなり、その中の一人・Tさんが「せどり」というビジネスをしていることを聞きました。

 

実は僕、リペアの仕事をしているときに、少しだけ「せどり」をやったことがあるんです。

作業場の近くにたまたま『ブックオフ』があったので「やってみよう」と思い、ガラケーでAmazonランキングを確認し、売れそうな本を購入。

そこまでやってみたのですが、当時はAmazonのアカウントも持っておらず、そのままドロップアウトしたことがありました(苦笑)

 

そんな過去があったので、せどりに対して良い印象を持っていかった僕ですが、Tさんの話では「商品のカテゴリーや、仕入れの基準を覚えさえすれば、誰でも利益を出すことができるのがせどりです」と言うのです。

実際Tさんは、せどりで毎月100万円近い利益を上げているようでした。

アフィリエイトで稼げていなかった僕はTさんに「ぜひ僕に教えてください!」と頼んだところ、Tさん自身は副業でやっていて直接指導する時間が取れないので、「私の “師匠” を紹介しますよ」と言っていただきました。

 

家に戻り、Tさんから聞いたアドレスに恐る恐るメールを送った僕。

翌日には、Tさんの “師匠” から返信が届いていました。

「『現在コンサルは受け付けていません』って言われたらどうしよう」と思いながらメールを開いてみると、

イチさん、はじめまして。

メールありがとうございました。

 

Tさんからもお話は聞いています。

私のコンサルにご興味があるとのことで、たいへん嬉しく思っております。

 

私が指導した人の中には、Tさんのように毎月100万円近く稼ぐ人も何人かいます。

中にはせどりがきっかけで法人を設立し、他の事業に進出する人も出てきました。

ですので、イチさんにとってもせどりが良いきっかけになるかもしれないと思っています。

 

メールでのやりとりでも構いませんが、一度直接会ってお話ししませんか?

そのほうがイチさんも安心して私のコンサルを受ける・受けないの判断ができると思います。

 

ご都合の良い日にちと時間を教えてくださいましたら、スケジュールを調整します。

よろしくお願いいたします。

 

S

 

Tさんの師匠はSさんといい、これまでも数十人にせどりを教えてきたそうです。

僕は早速返信を送り、Sさんと直接会って話をさせてもらう機会をいただきました。

 

メールを返信してから1週間後、Sさんと会う日がやってきました。

もう少しで春になろうかという3月の半ば、1時間かけて千葉まで向かい、千葉そごう5階の『神戸カプチーノ倶楽部』でSさんに初めて会った日のことは、今でもはっきりと覚えています。

 

 

第4章 やっと掴んだ起業の夢

に続く

 

 

 

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2019年11月28日

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