【第2章】流転の社会人生活

子ども~大学生時代を読む

 

社会人生活のスタート

4年で無事大学を卒業した僕は、新しい春が来ると新入社員として社会人デビューしました。

新卒で入った会社は、食品関連の商社。

アメリカに本社がある企業の日本法人で、果物や野菜を生産・輸入・販売する会社でした。

ここには載せられませんが、社名やロゴに見覚えのある人が多い会社だと思います。

 

僕は運良く「とりあえず知名度の高い会社」に入ることができたので、

「オレの就職活動は成功した」
「これで人生安泰だ」

と考えていました。

「義務感と強迫観念だけでやっていた就職活動だったけど、結果は成功だった」と。

 

しかし、それは就職活動に対する自己評価にすぎず、社会に出てみると改めて自分の「欠陥」が目につくようになりました。

自分から進んで仕事をしない、他の社員と意思疎通しながら仕事を進められない、先輩社員とまともに会話ができない…

高校・大学と「他人」や「社会」と関わることを蔑ろにしてきた僕に突きつけられた現実でした。

当然ですが、他の同期に比べ社内での評価は低く、だんだんと仕事を頼まれない状況になってきます。

 

定時に出社して終業まで自分のデスクに座っていたものの、会社に「居場所」など無く、終業時間が来るのをただ待つだけの毎日が続きました。

結局最後は精神的に耐えられなくなり、新卒で入った会社を1年ほどで辞めることになりました。

せっかく入った有名企業だったのに、たったの1年で自らレールを降りてしまったときは、「大人として失格だ」と強く思いました。

「なんのために大学まで行かせたのか」と何気なく口にした親の表情が、今でも忘れられません。

 

 

 

やりたいことが見つからない10年間

 

新卒で入った会社を辞めてからは、いろいろな仕事をしました。

建設現場の作業員、バイク便、写真家のアシスタント、観光人力車の車夫、配達員、医療機器の営業、防犯カメラの営業。

思い出せるものだけを挙げましたが、短期間しかやらなかった仕事も入れると、この他にももう少しあったと思います。

 

いちばん長く続いたのは、2トントラックで飲食店にお酒を配達する仕事で、約7年やりました。

生ビールの樽やケースに入った瓶ビールは15~30kgと重く、それを2~3本・2~3ケースとまとめて運ばないと終わらないので、お酒の配達は働きながら筋トレをしているような感じでした(笑)

大学まで野球をやっていた僕にとっては、それが性に合ったのでしょう。

 

バイク便は3年やりましたが、それ以外の仕事は半年から1年程度で辞めたものがほとんどです。

「できるかも」と思って始めてみたけど、仕事の内容が想像と違いすぐにモチベーションが下がる、このくり返しでした。

 

当時の僕は、自分で仕事を組み立てることや、成果が出るまで地道に物事に取り組むことといった、コツコツ積み重ねることが必要な仕事ができませんでした。

特に求人誌の「高額報酬可」の言葉に飛びつき始めた営業系の仕事は、成果がすぐに出せなかったのでモチベーションが続かず、1年も続けられた試しがありません。

 

20代後半になってもこんな状態だったので、後に結婚した当時の彼女は「この人で大丈夫かしら…」と不安を感じていたことでしょう。

しかし、それは彼女だけではなく、僕自身も同じでした。

「オレはこれからどうしていけばいいんだろうか」という不安を覚えながら、それを誤魔化すために日銭を稼げる肉体労働に就き、「偽りの安定」に安心しきっていたんです。

 

 

 

「動けば稼げる」ことがわかった意外な出来事

28歳で結婚した僕でしたが、当時やっていたのがお酒の配達。

彼女と結婚するために「正社員でなおかつ続けられそうな仕事」を探したとき、営業系の仕事は続けられそうになかったので、消去法で選んだ配達の仕事に就いていました。

 

お酒は夜に飲むものだし、飲食店も夕方からオープンするので、酒屋の仕事は朝早くないものだと入社する前に思っていたら、そんなことはありませんでした。

一人の配達員が担当する店は、60軒以上。

注文が多くなる金曜になると、一日に80軒近い飲食店にお酒を届けることもよくあり、それだけの軒数を回るためには朝早くから配達しなければ間に合わなかったのです。

普段は遅くても朝6時半には会社に到着して仕事を始め、週末や連休前の忙しい日は5時半に行かないと配達しきれない、そんな仕事でした。

 

営業系の仕事と違い、配達の仕事は長く続けることができ、酒屋は1年で辞めるといったことはありませんでした。

入社して3年が経った頃には、子どもが生まれました。

初めて我が子の顔を見た感動は、今でも鮮明に覚えています。

僕だけではなく、世の中のお父さん・お母さんもいっしょでしょうね。

 

配達の仕事だけでは家庭を維持するだけのお金が稼げなかったので、カミさんも出産直前まで働いていました。

そして、子どもが生まれたからといって僕の給料が上がることもないので、カミさんは産休が明けたらすぐに仕事に戻りました。

カミさんも仕事を再開したとなると、子どもや家のことは2人で分担してやらなければいけません。

そういった理由から、僕も子どもを保育園に送り迎えできるように、酒屋での4年目以降は正社員からアルバイトに変更してもらいました。

仕事内容はまったく同じだったんですけどね。

 

そして、このことが後に独立するきっかけになったのです。

正社員で働いていたときは微々たる金額しかもらえなかった残業代でしたが、アルバイトになると出社してタイムカードを「ガチャン」と押してから、仕事が終わり帰り際に「ガチャン」とするまで、時給を丸々もらえるようになったのです。

ユニフォームを着ているすべての時間が「お金」になっただけで、給料が月平均10万円も増えるという状態になったことで、僕の心境は大きく変わりました。

 

「働いたら働いた分だけお金が貰えるって楽しいな!」

 

いま考えると、経営者の考え方とはまったく違うものだったわけですが(笑)、兎にも角にもアルバイトになったことが「自分で事業をやってみたい」と考えるきっかけになったことは紛れもない事実です。

 

このように、思わぬことがきっかけで独立を考えるようになった僕でしたが、具体的には何をしたらいいのか、まったくわかりませんでした。

野球が好きだから、野球用品専門店を開業してみようか?

配達の仕事が楽しいから、軽貨物ドライバーで独立しようか?

 

そんな「ああでもない、こうでもない」と思案を巡らせていたある日、何気なく観ていたテレビでおもしろそうな仕事が取り上げられていました。

 

 

第3章 波乱の自営業の幕開け

に続く

 

 

 

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2019年11月28日

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