はじめまして、イチです。
東京都在住のアラフォーの男です。
ほとんどの方が「おまえはいったい何者だ?」と思っているでしょうから、このページでは私・イチの自己紹介をさせていただきます。
【年齢】 【性別】 【趣味】 【特技】 【敬愛する人】 【好きな言葉】 |
現在僕は会社を経営しています。
今やっている事業は5~6年前に始めましたが、その前に独立をしているので、自営業・経営者歴はかれこれ10年近くになります。
どんなことをしているのかというと、
● インターネットでの物販
● 投資
● ネットメディアの運営
こういった事業を行っています。
大学を卒業後、普通の企業に就職しましたが、その会社を退職してからは職を転々としていました。
ですので、独立した当初はこれといった経験もスキルも人脈も持ち合わせていませんでした。
そんな僕が現在では会社を経営しているのですから、人生は本当に何が起きるかわからないものです。
ちょっと変わった子どもだった
僕は43年前の冬に、北国の農村で生まれました。
父は地元の農協に勤めるサラリーマン、母は農協の選果場でパートをする主婦、その他の家族は二つ上の姉と、今は亡くなっていませんが祖母がいました。
特別裕福でもなく、かと言って贅沢しなければ衣食住には困らない生活ができていたので、そういう点では至って「普通の家庭」だったと思います。
小学生の頃は運動が得意な元気な子どもでしたが、中学に入り深夜ラジオを聴くようになってからは、遊びや興味の対象が周りの友だちとは異なってきました。
中学生・高校生の頃はバンドブームでたくさんの人気歌手・バンドが次々と出てきましたが、さほど興味なし(笑)
いわゆる「トレンディ・ドラマ」も、放送翌日はクラスや部活で話題になっていましたが、テレビよりラジオが好きな少年だったのでそもそもドラマを観ませんでした。
それで僕が話題に取り上げるのは『オールナイトニッポン』や、『タテノリ・ライブ・パーティー』という地方局の深夜ラジオのことばっかりだったので、当時本人は自覚していませんでしたが、周りの友だちからすると「ちょっと変なヤツ」だったと思います(笑)

『タテノリ・ライブ・パーティー』知っている人いないですよね? 笑
漫画も同じです。
「親に禁止されていた」とか、そんなことはまったくなかったんですが、流行っている漫画でおもしろいと感じられるものがなかったんです。
なので、同年代の男性ならほとんどの人が読んでいたであろう『キン肉マン』『北斗の拳』『ドラゴンボール』といった作品は、未だにキャラクターの名前やストーリーがほとんどわかりません(苦笑)
ドライバー時代の会社の同僚に「あの人、天津飯みたいだな」と話しかけられたときも「銀座の中華屋さんのこと?」って返したくらい。
大人になってからもそこはあまり変わらず、これまでの人生で「おもしろい!」と一気読みしたことのある漫画は、『殺し屋1』と『ワイルド7』だけです。
(オススメの漫画があったら教えてください!)

『殺し屋1』と『ワイルド7』
そんな子どもだったんですが、小学校から始めた野球はずっと好きだったので、高校そして大学まで続けることができました。
この後に書きますが、社会に出てから10年も続けた仕事がないので、僕の人生でいちばん長く続けられたことが野球ということになります。
「もしかしてオレ、浮いてない?」
高校生活は、授業を受けて、野球の練習を4~5時間やって、それから帰宅して宿題をする、という毎日でした。
中学のときと同じように毎日深夜までラジオを聴いていたので、学校の授業は練習のために寝ていることも多かったです(笑)
そんな感じで、僕の高校生活は完全に野球中心で回っていました。
休日に遊びに行くのも、野球部の仲間とばっかり。
強豪校・名門校ではありませんでしたが、毎日練習していたので部員同士の繋がりが強くなるのは自然なことなんですけどね。
高校での僕の「居場所」はクラスではなく、野球部だけだったんです。
ちなみに、僕は甲子園には出られませんでした。
出られませんでしたが、県で準優勝したことがあるので、僕の高校野球は「甲子園まであとちょっと」という感じでした。
そんな野球部も、3年夏の甲子園予選が終わると引退です。
高校生活の残り半年はクラスだけが学校での「居場所」になるわけですが、野球部というこれまでの「居場所」がなくなって初めて気づいたことがありました。
みんなが興味を持つことに関心がなく、クラスの誰とも積極的にコミュニケーションを取ってこなかった僕は、クラスメートとの共通の話題がなく、完全に浮いていたのでした。
事務的な会話は交わすけど、みんなが遊んでいる休み時間は「居場所」がないクラスを離れ、図書館で本や新聞を読む毎日。
「もしかしてオレ、何か間違えてる?」と、人との付き合い方を生まれて初めて見直した瞬間でした。
そんなことがあり、世間で言われる「協調性」や「社会性」が欠落していることに気づいた僕は、高3の夏から大学卒業までの数年間「オレは欠陥のある人間なんだ」と思うようになり、一人で過ごすことが多くなりました。
友だちが少ないこと、初対面の人とうまく話せないこと、みんなを笑わせられる面白い話ができないこと…
自分のすべてが「欠点」のように感じられ、とても息苦しい毎日を送っていました。
この頃の僕は、今の言葉で言う「陰キャ」だったと思います。
画一的な価値観しか持っていなかった大学時代
大学で専攻したのは、教育学部の保健体育科。
本当に野球以外に興味を持てるものがなかったので、「将来は高校の教師になって野球部の監督をやろう」と考えて保健体育科を選んだのです。
一般的な大学生と同じように、普段の僕は、授業とアルバイト、それに相変わらず続けていた野球の練習をする毎日でした。
野球が好きだったので「あわよくばプロ野球選手に」と思っていましたが、まぁ無理でしたね(笑)
そんな「普通の」大学生活を3年送り、4年生になると今度は就職活動が待っています。
今の学生さんも変わらないんでしょうか?
人付き合いを避け、自分を曝け出せない学生だった僕でしたが、多くの学生と同様に4年生になってすぐに就職活動を開始しました。
けど、「世間」や「社会」から距離を置いていた僕にはやってみたい仕事がなく、自分から進んで企業にアプローチすることも一切ありませんでした。
ダイレクトメールが送られてきた企業になんとなく履歴書を送って、会社説明会には参加するけど、入社したいわけでもないからその後は何の進捗もない。
こんな具合で、まったくやる気のない、本当に受動的な就職活動でした。
そもそも自分に自信のなかった僕は、
「みんながやっている」
「みんなが『大学を出たら就職するのが当然』と言っている」
「大学を出たのに有名企業に入れなかったらダメな人間だ」
「正社員になって初めて立派な大人」
「会社員になったら一生安泰だ」
このような誰かに吹き込まれた考え方や価値観を盲信し、「良い会社に就職しなければいけない」といった義務感や強迫観念に動かされているだけだったんです。
それに、今でこそ正社員以外の道がいくらでもありますし、世の中も「正社員至上主義」ではなくなってきていると感じますが、20年前はそんな風潮はまったくなく、就職以外の選択肢がなかった時代だったとも思います。
だからこそ、「夢」のない青年だった僕には、尚さら「就職」という未来しか見えなかったのだと思います。
周りの学生たちを見ていると、一人で20社も30社もエントリーしてる人もいましたが、僕はやる気がなかったので5社しか受けず、そのうちの1社から運良く内定をもらうことができました。
そして、「もうこの会社でいいや」と、そこで就職活動をやめてしまいます。
その後の自分の将来をまったく考えることもなく…
に続く
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